Ximera Media Next Trends #42|Ikuo Morisugi|October 18th, 2022
はじめに
メディアのトレンドとそれを巻き起こすスタートアップを追いかける連載シリーズXimera Media Next Trendsの第42回となる今回は、「コラボレーションとリミックスを促進するクリエイターエコシステム」をとりあげたいと思います。本稿ではとくにそれが顕著に見られる事例として、音楽制作分野にフォーカスしていきます。
現在の音楽市場では、他者が制作した音源を使って作曲することが当たり前になっています。古くはヒップホップのトラックメイカー(MCやラップを入れる前の楽曲を作る人)が、他者の過去楽曲の一部を切り取り、それをループさせて、新たな楽曲として成立させていました。
以降制作に使うための音源はさらに増え、例えばドラムの各音(スネア、バスドラム、ハイハットなど)をバラバラに録音した音、キーボードのフレーズ、心地よい聴こえ方をする部分だけ切り取られたボーカルなど、数秒にも満たないサウンドがメーカー/個人を問わず幅広く提供されるようになりました。
逆に1つの楽曲をまるごと他者へ提供する例もあり、例えば、ヒップホップミュージシャンLix Nas Xのヒット曲でビルボードで1位にもなった「Old Town Road」の元となったトラックは、オランダ人プロデューサーからわずか30ドル(約4,500円)で買い取ったものであることは有名です。さらにそのトラック自体はロックバンドNine Inch Nailsの曲の一部を使ったサンプリングミュージックでした。この例だけをとっても、過去の創作物が連鎖して新たに価値が生まれたことがわかります。
このように音楽の制作では自身で演奏して新たな楽曲を作る以外に、ほかのクリエイターが制作したものをどう組み合わせて作るかが鍵となっています。
こうした「ほかのクリエイターが制作した創作物を組み合わせて新たなものを生み出す」話自体は古くより存在している話ですが、楽曲制作領域においてはこの概念がさらに浸透しており、新たなクリエイター市場が生み出されています。本稿ではこうした新たなクリエイター市場を生み出すプラットフォームを提供するスタートアップの事例をとりあげ、メディアとして提供する新たな価値を見ていきたいと思います。
“サンプリングパック”市場を創出: Splice
楽曲制作者と音源クリエイターのマッチングプラットフォームを提供しているのがSpliceです。月額9.99ドル(約1,500円)で何百万もの音源に無制限にアクセスすることができるほか、音源を組み合わせたトラック制作もSpliceのプラットフォーム上で可能になっています。Spliceは400万人のユーザを抱え、多くはアマチュアの制作者で構成されていますが、Justin Bieberなどプロミュージシャンの曲にも利用されています。
Splice上で新たなクリエイターが登場した事例の1つで、Splice上の音源クリエイターとして複数のボーカルサウンドをサンプリング音源パックとして提供したKarraさんの成功をご紹介します。Karraさんはサンドウィッチショップのマネージャーをする傍ら、ボーカルとしてさまざまな楽曲に参加する活動をしていましたが、音楽による収入は多くはありませんでした。Karraさんは、知り合いのプロデューサーの多くがSpliceを使っていることに気づき、楽曲制作に利用できるボーカルサンプルパック(数秒程度の短いボーカル音声を複数まとめたパック)を制作しSpliceへ展開しました。数カ月後には、有名アーティストのDavid GuettaがKarraさんのサンプルを利用し、ヒット曲を生み出したことを知らされたのです。これをきっかけにKarraさんはボーカルパックのVol.1と後続のVol.2あわせて、ほかの有名アーティストやアマチュアミュージシャンにも人気になり、Spliceのクリエイターとして花が咲かせました。
Karraさんの成功はシンデレラストーリーの面ももちろんありますが、通常のボーカルでは商業的に成功しなかったクリエイターが、ボーカルパックという新たな市場で勝負して支持を得た点で非常に興味深いです。音楽制作におけるサンプリング文化があり、そこに誰でも新たなコンテンツを提供することでスターになれる、新たなクリエイター向けメディアとして成立している点がSpliceが提供する価値となっています。Spliceは2021年の2月にGoldman SachsのグロースファンドのGS Growthなどから5500万ドル(約82.5億円)を調達、企業評価額は5億ドル(約750億円)と言われており、さらなる成長が見込まれます。
Web3時代の作曲プラットフォーム: Arpeggi
音源の権利と移転を柔軟にし、楽曲制作をより協調的に行えるようにしているのがArpeggiです。Arpeggiはブロックチェーンを使って音源を管理し、より「リミックス文化」が促進される環境を作ろうとしています。
従来、他者の著作物である音源をサンプリングして使うには、許可を得ずに違法に利用するか、非常に面倒な楽曲の権利処理と支払いを行う必要がありました。前者は訴訟などがあり、時代とともに許可をとって使うような形に。後者の問題は、Spliceなど音源を管理するプラットフォームが登場して肩代わりをしてくれているものの、処理を実施する主体が変わっただけで本質的にはその面倒さや複雑さは解消されていません。ArpeggiはARP(Audio Registory Protocol) と呼ばれる仕組みを使ってその問題を解消しようとしています。
ARPで登録された音楽はブロックチェーンによって、どのクリエイターに所属し、いつ誰に使われたのかを把握することができるため、自動的に権利処理が行われます。これを可能にするため、ArpeggiはARP による楽曲制作、楽曲公開、NFT発行が可能なDAW(Digital Audio Workstation:音源制作に用いるソフトウェア)環境をクリエイターへ提供しています。発表された楽曲に対してNFTが1つ、またトラック(楽曲を楽器ごとに分解した部品)ごとにNFTが1つずつ発行されます。これらのNFTをほかのクリエイターがレゴのパーツのように部品として使いサンプリングやリミックスが可能になるのです。
この仕組みによって従来の違法であったり、非常に面倒なプロセスから開放され、クリエイター間の協調と自由な楽曲利用が促進されます。リミックスによって面白い文化ができているのはTikTokで十分実証されています。Arpeggiの試みによりさらにコラボレーションと創作しやすい環境が新しい体験を生み、これまで以上の創作物が出てくる可能性があります。
Arpeggiのビジネスモデルはまだ明確ではなく、現状は無料で利用することができます。Web3のアプリケーションでよく見られるトークン発行もしていません。これは投機的な動きを避けてWeb3を毛嫌いするクリエイターを惹きつけるためだと思われます。
ArpeggiはAndreessen Horowitzの暗号通貨投資部門、Steve Aoki、Wyclef Jeanなど著名VCおよびミュージシャンから支持を集め、2022年9月に510万ドル(約7.65億円)のSeedラウンドの資金調達を行いました。まだビジネスモデルも定まっていないスタートアップですが、今後新たな音楽制作を行うプラットフォームを実現する可能性を秘めています。
おわりに
今回は「コラボレーションとリミックスを促進するクリエイターエコシステム」についてとりあげました。
SpliceもArpeggiもどちらもいかにクリエイターが簡単・手軽にコンテンツ制作をできるようにするか、そしてクリエイター間で新たな提供と消費のエコシステムを作ろうとしている点が共通しています。それを実現するためにコンテンツの権利処理や技術的に利用が簡単になる仕組みを1から作っています。
イノベーションの基本は、国や専門家や富豪など一部の層にしかできなかったことを誰でもが簡単にできるようにすることです。シリコンバレーをはじめ成功しているスタートアップ企業の多くはそれを成し遂げる要素を多かれ少なかれ持っていますが、SpliceもArpeggiも同じ道を歩んでいます。
こうしたプラットフォームとしてクリエイターの創造性を促進するようなアプローチはメディア作りにおいても非常に重要な要素として参考になるのではないでしょうか。Ximera Media Next Trendsではこうした引き続きこうした新たなクリエイター市場を作るメディアのトレンドも追っていきたいと思います。
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